- 1958年10月
-
現社長萬年廣人が、生家である能登の万年屋(北海道の江差から大阪までの各港に8隻の千石船を航海させていた廻船問屋、後に「亀正宗」醸造元)より独立。
事務所を東京都新宿区高田馬場に開設し、中小企業の事業主を対象に労働安全・労務管理指導講師として活躍した。
その際ヒヤリハットの防止など、労働災害の問題に真剣に取り組み、労働安全保護装着方法も指導した。これは、後に「労災先生」と呼ばれるようになった所以でもある。その時、労働安全用品に関しての購入斡旋の相談や依頼が非常に多く、そして度々その世話もしたために、ワーク用品業界入りすることとなった。
- 1962年7月
-
新宿区上落合に皮手袋工場設置。プレス機用万年安全皮手袋を開発、量産体制に入る。大企業の顧客の増加と共に手袋・安全用品の売り上げ上昇著しく、組織を法人化し「有限会社
萬年手袋」とする。
- 1964年4月
-
労働安全・労働衛生に関する一切の身体保護具の総合卸メーカーに飛躍。ヘルメット・各種防塵、防毒マスク、安全耳栓、各種安全メガネ、高所用安全帯、溶接面から安全靴に至るまで。また、オフィスユニフォーム、作業服、各種ユニフォーム、防寒服、白衣等、働く人が身につける物全てのコンサルタントとして業界に新しい分野を開く。
- 1969年3月
-
新宿区西新宿3丁目へ卸直売部本店出店、労働安全保護具を初め、手袋全種類、オフィスユニフォーム、作業服、各種ユニフォーム、防寒服、白衣等の販売を開始。「ワークショップ業界」の元祖的存在となる。
- 1974年9月
-
TBS(東京放送)を使い”ボーカンゲンカ(防寒原価)”の宣伝を開始する。「五万番防寒服」として防寒服の直納日本一の会社として全国に知れ渡る。
- 1975年
-
防寒服への多様なニーズに応えてゆくため、同年9月には初のパチパチ音や引火危険性を防止した「五万番防寒服新型」を品質保証の自社ブランドで市場に出荷。
又、カネボーで特別に織った強靱な原反ベルシャープを使用して二重縫製ワーキングウェア「3361シリーズ」は、洗練されたデザインが大好評を呈し、爆発的売れ行きで全国に知れ渡った。
尚、昭和44年から続けてきた全国向けTBS放送、西武百貨店や京王プラザホテルでの長期展示、各種雑誌や新聞などへの広告などの宣伝により、「防寒服の萬年屋」として知られ、年々確実にそのシェアを拡大した。
- 1976年1月
-
現社長萬年廣人氏39歳で、超高層ビルの林立する
新宿新都心、西新宿5丁目に地下1階・地上5階建ての本社ビル(現萬年屋第一ビル)竣工。慈善団体「万年健康友の会」発足。
- 1981年7月
-
ワークショップチェーン全国展開の為の態勢を整える。又、優秀な人材を集め精鋭に育成することに力を傾注する方針とする。「独立する意志の人、大歓迎!!」
- 1984年2月16日
-
通称”万年屋”を正式に「株式会社萬年屋」に改組し授権資本金を16,000万円に増額。研究開発、デザイン部門に人材を配置する。
- 1986年9月
-
TBS東京放送、日本放送(ラジオ)で「労働安全、万年安全」を連日昼夜放送キャンペーン。ポリエステルをコットン(綿)で巻いた糸、パルパー素材を使って、汗を吸い丈夫で乾きの速い着心地抜群の3361型長袖シャツを自社ブランドにて販売開始。
- 1988年5月
-
代表取締役の敬老思想から、東京23区の高齢者事業団様(現シルバー人材センター様)に超卸値で納入を始める。全都のシルバー人材センターの皆様に大好評。又、61シリーズに大学ノートがそのまま入る日本初巨大ポケット「6p55型」を売り出す。
上衣S〜5Lサイズまで、ズボンサイズ90種類・長さフリー、ウエスト130cmまでを常備する。新都庁建設の為の統一ユニフォームを作り、安全用品の独占納入を通して、日本一の高さを誇る新都庁の竣工に貢献することができ、全社員の誇りとなる。
- 1989年1月
-
冬の王者5万番防寒服「1111型」に巨大ポケット6ヶを装着。国内は言うに及ばず、海外でも大好評。大ヒットを得る。
- 1990年
-
増えつつある外国人労働者の為に、”関取小錦”クラスでも着ることのできるオーダーメイドの超特大服の受注を開始。30cmの地下足袋・安全靴を製造し常備する。ニューヨークなど外国のアーティストにも大好評で問い合わせも絶えず、社員の英語力が伸びるチャンスとなる。
- 1991年6月
-
デザイン企画研究開発、宣伝力アップの為、予算額大幅増額、バスの案内放送だけでなく、近辺の各バス停にも「万年屋」の案内を出し、全社員一致協力大躍進を誓い合う。平均賃金大幅上昇。
- 1995年
-
1月17日に起きた阪神淡路大震災の際には、全社を挙げて協力態勢に入り、破壊された屋根用の補強用のブルーシートを始めとして、安全靴100足あまり、防寒服、ズボン、現金など相当数を取引先の協力も得て寄付し、喜んでいただく。
又、3月の地下鉄サリン事件の際は、長年の安全用品普及の甲斐あって、各新聞、雑誌、テレビ放送などの取材が殺到。社員も、なれぬテレビ出演とあいなった。この年、5局ほどのテレビでいろいろな紹介をしていただく。
- 1996年
-
社員を全員20代社員とし、一人一人の社員が直接社長に報告・提案などができるようになり、明るく活発、円満に仕事に邁進することになる。
- 1999年10月
-
売り上げ拡大と顧客の増加を図る為、3丁目店を改築し売り場を広げ、お客様に喜んで頂く。顧客さらに増大し、またもや雑誌の取材、テレビ放送など取材記者の来訪が多くなる。
- 2000年2月
-
長びく不況に打ち勝つため、卸部と本社を一体化。本社営業部を3丁目店内に移動完了。又、お客様へのさらなるサービスとご奉仕の為、助成金手続き無料券と社会保険労務士各種手続き無料券をお配りし、社会保険労務士の研究期間充実の為万年安全カチカメビルに研究室を設置する。又、福祉介護用品部、インターネット販売部充実の為、人材の募集・厳選を始める。
- 2000年10月
- 新店舗を建築し、充実した販売体制となる。
- 2000年11月
-
海外の若手ファッションデザイナーのご来店が増え、ファッション雑誌を始め、テレビのファッション番組でも紹介されるようになる。この一石により、平成13年の春のファッションは、明らかに作業服から来ていると思われる形の流行。
- 2001年2月
-
ネーム刺繍部に加え、プリント機械を導入しプリント部を新設。外注に出していたプリント加工がほとんど社内でまかなえるようになり、営業部も納期の心配なく安心して注文を受けられるようになり、ますます活気に満ちた萬年屋となっていく。
- 2001年7月
-
外国人向けの英語版「ブルータス」誌に1ページ掲載されたのをきっかけに、多くの外国人客来店。その記事が朝日新聞にも載り、大反響。
- 2001年9月11日
-
ニューヨークのセンタービルに旅客機がつっこむテロが勃発。その後、アメリカで炭疽菌騒ぎ。世界中がテロをおそれる。このテロ後、毎日新聞社の記者が萬年屋の「防毒マスク大特価セール」の看板を見つけ、万年玲子への取材と共に三面記事に大きく取り上げたことから、APS通信、文藝春秋、TBSラジオ「たけろう現場にアタック」等々各方面の取材を受けた。
- 2002年11月
-
新型カチカメ五万番防寒服縫製完了。評判が良く、売れ行きも好調。島津製作所の田中耕一さんがノーベル賞を受賞なさったことから、「田中耕一」型作業服を展示してみたところ大好評で、特に若い世代に評判を得る。
- 2003年5月
-
人気カリスマモデルの深沢エリカさんのご紹介ということで、ファッション雑誌「ギンザ」に取り上げていただく。店内は今までになく若い女性で一杯になり、大変にぎやかになる。
- 2003年6月
-
今度は若い男性向け雑誌「メンズノンノ」に取り上げていただき、これまた凄い反響を得る。北は山形南は鹿児島から続々問い合わせ・ご注文のお電話を戴いた。特に人気があったのは、当社オリジナルのピンクのツナギ服や作務衣(お坊さんの作業服)
- 2004年
- 雑誌「ガテン」の毎号の表紙に衣装協力
- 2005年
- アスベスト問題に関しての問い合わせを多数いただく。
- 2006年
-
別冊ブルータスで紹介。イギリスBBC放送のアンカーマン、ジョナサン・ロス一行の取材撮影を受ける。また、NHKBShi&BS2
「クールジャパン」にて取り上げられる。